介護保険に見る「官」の肥大化

介護保険は、保険者は市町村なんです。被保険の人は外国人も含む市町村の住民なんです。市町村が主体でしなければならないのです。ただし、特別養護老人ホームなどの入所している人については、前にすんでいたところの被保険者になれます。 施設が多い市町村に対して周囲の地域から要介護者が押し寄せた場合に財政的に困るためです。

介護保険法の実態は、生存権を定めている、日本の憲法第25条を満たす条件でなければならないのですが、憲法はもちろんのこと、内閣の提出する法案を国会が審議して、可決し成立させた介護保険法どころか、厚生労働大臣が定めた省令でもなく、厚生労働省本省の局長や課長などが出した通知が制度を動かしているのです。

民主党は、こんどの参院選マニフェストで、「地域のニーズに合った行政ができるように、住民生活に密接な分野については国が細目(政省令)を定めることをやめ、自治体の条例で決められるようにします」としています。それはとても良い考え方なのですが、行政の実態は介護保険に見るように「政省令」どころか「通知」でがんじがらめになっているのが実情です。

その過程での、介護保険制度では、憲法はおろか、法の趣旨である助け合いや家族の負担の軽減といったことからは、どんどん実情が外れていきます。

介護保険制度は、中央の官僚が「難しい理屈」をつけて「サービスを提供してはいけない」ことにするために、自治体の担当者は膨大なエネルギーが割かれています。介護保険は本来「自治事務」なのですから市町村が自由にしてよいと思うのですが、国が地方を通知でガンジガラメにしばっているのです。例えば現場が「もっと柔軟にサービス給付したい」と思ってもとても困難なことなのです。

介護保険料を低所得の人には軽減したくても、国が通知を出して待ったをかけてきます。「自治体が、一般会計から自己の責任で支出することはまかりなりません、それでは助け合いの精神を破壊することになります」というわけなんです。税金だって広い意味では「助け合い」のはずなんですが、中央の官僚はそこのところは教条的なんです。

介護保険利用者と介護保険利用者の家族は、たとえば、要介護者の祖母の孫とした場合に「同居家族がいる」というだけで,サービスを十分に受けさせてもらえないのです。平日の昼間の病院への送り迎えなどは、仕事をしている人は、どうやって送迎をしたらいいいのでしょうか。ある県の条例では、このようなケースでは、親と夫婦、子供の時にしか「看護休暇」の取得を認めていません。そのような実情も考えず,厚生労働省の中央の官僚は机上の空論で通知をつくっているとしか思えません。

社会保障は、人を助ける筈のはずが、「人を切り捨てる仕組みになるため」に、東大の法学部を出た優秀な人材が、夜遅くまで厚生労働省内で書類を作っているのでしょう。市町村では、民間の介護事業者が、サービスの提供だけでへとへになるまで働いているのに、少しでもルールから外れると都道府県の厚生労働省の役人に怒られます。不正がなければよいと思うのですが。
 
膨大なエネルギーを無駄に浪費しているために、税金の割には行政のサービスが低いのでは、と思ってしまいます。官僚機構の多くの無駄は、議会での意思決定ですべてが行われているからかもしれません。